マーノート

マーは2010年2月生まれの女の子。小1で不登校、発達相談で広汎性発達障害(自閉スペクトラム)と見るべきだと指摘される。ここは「言われてみると自分も」感が満点の父=私のブログ。登場する「キューちゃん」は妻(マーの母)。

登校することそれ自体

■ 言葉かけ

「(学校でがんばったという話をキューちゃんから聞いて)がんばる力があるんだね。おつかれさま。よくやったよ」

「先生に好かれてるんだよ」

「このパズル、算数の力があるんだね」(「これが力になるの?」→「なるよ、算数の形の問題だもの!」)

「爪切りってテコなんじゃない?」→「その通り、科学の力があるから気づくんだね!」

ツツジの花が15も咲いたよ」(窓から見てマーがVサイン)。

「マーの笑顔でみんな楽しいよ。家庭を明るくする力があるね」(ただ漫画を読んでここがおもしろいとケラケラ笑ってしゃべるだけなのだが)。

 

■ 任せたこと、一緒にしたこと

朝ご飯で目玉焼きを作ってもらう。

洗濯機。

着替え、トイレ、手洗い、等々は1人でできるようになってきたから構わず。

ボードゲーム

 

■ 省察

 登校すること自体が当人にとって大きな前進、自信のモトになるのではないだろうか。応援しまくりではあるのだが、「自分はがんばっている、そのがんばりで乗り越えているのだ」という感覚になるのではないか。そこまでいかずとも「あるべき日常・日課」の反復こそが安定のもと。

 もちろん、無理強いでないとか、人に預けてさあ安心といった親の勝手な満足でない、というのは大前提で。

 

 今週は、月~金、毎日登校した。毎日、母親がついていっているし、たいてい遅刻か早退(その両方)だし、保健室や相談室を拠点にしながらだけれども、教室や職員室で先生たちに挨拶はできるし、授業によれば教室に入れるし、宿題プリントももらってきて家庭でとりくんでいる。

 

 他の子とのかかわりはあいかわらずだけれど、とにかく屈託なく先生に話しかけてゆけるのは大きい。

 先生方のなかに「この子は発達障害」が浸透して対応してくれている、という雰囲気はある。昨年度までとは明らかにちがう。が、神経質的ではない。廊下ですれちがって声かけ、親しい先生なら手をとりあって喜び合い、中には抱っこでぎゅーってしてくれる先生もあるのは、単純にマーが「好かれている」ところもあると思う。

 

 爪かみなどのチックはほぼ見られない。手洗い強迫もほぼ消失。春休み終わりから新学期以降、大爆発の癇癪はない。むしろ、言葉がやわらかになり、表情も穏やかになってきた。家庭で1人時間は作っても引きこもらない。状態は明らかによくなっている。

 3月初旬、「校門に触って帰るだけでもいいですから」と言われたのからは想像できない前進である。

 

 こうなると、家庭でやるべきことが決まってくる。

 できることを見つけてほめる、存在を承認する(言葉かけだけではなく、家事を任せたり、団らんの時間をとる、まちがっても学校と勉強だけほめるんじゃない)、もちろん困ったことはいくらもあるのでその話はうんうんと聞いて、建設的な相談という態度で接する・・・すると外に出られる、疲れはするが家庭ではこれに徹することができる、という好循環ができつつあるように思う。

 できないことやこだわりなど、マイナスのことを正すことも、プラスに向けた働きかけになってくる。

 

 息切れしないように注意しないと。