マーノート

マーは2010年2月生まれの女の子。小1で不登校、発達相談で広汎性発達障害(自閉スペクトラム)と見るべきだと指摘される。ここは「言われてみると自分も」感が満点の父=私のブログ。登場する「キューちゃん」は妻(マーの母)。

そんな学校に戻そうとするんですからね

 「不登校がこれだけいるのに、そんな学校に戻そうとするんですからね」(某フリースクールの先生)

 

 公教育に多様性がなさすぎる、と、NPOフリースクールのこの先生は言う。最近の不登校対策は、別の学びがあってもよい、というよりは、学校に戻ろう、が多くなってきている。そのことへのコメントだ。

 他方、「学校へ行かなくていい」とASDの子に不用意に言ってはいけない、と、信頼する小児科医の先生は言う。確かに、昨秋、マーが「学校、いや」と言って暴れ出し、その気持ちをくむために「わかった、行かなくていい」と私が言った時、マーはその言葉を字義通りに受け止めた可能性がある。身動き取れなくしてしまったかもしれないのである。

 「いいんだ、学校なんか」。こどもにそう言おうとする時、その多くは、そこで苦痛や屈辱を経験しているこどもに「気持ちはわかるよ」というメッセージを送ろうとしているのであろう。だが、他の学びのルートや、こどもにとっての社会生活を確保しようとする努力をするのでない限り、字義通りに言ってはいけない言葉なのだ、とも思う。その限り、「学校なんか行かなくていいと安易に言うのは無責任だ」という主張も、理解できる。

 が、他方、それが「そのままの学校に戻るべきだ」という論理になっても、冒頭の言葉の通り、おかしな話だと思う。いまの教室とカリキュラムがこどもの多様性について配慮していると言えようか。まして、何万もの子が不登校になり、いじめで自殺さえ起きる、学校がそれを隠蔽しているかもしれない、ことによれば体罰教師がいるかもしれない、そんな学校の体制がどうして今のままでよいわけがあろうか。

 もとより、個々の良心的な先生の並々ならぬ努力とか、相談体制が次第に充実してきている、といったところを認めるにしても、問題はその先にあるだろう。冒頭の先生はさらにこう続ける。

 「このままじゃいけないと思う先生は多い。けれど、あそこにいると、いまのようにさせられる。個性尊重なんてできなくなるんですよ」。