マーノート

マーは2010年2月生まれの女の子。小1で不登校、発達相談で広汎性発達障害(自閉スペクトラム)と見るべきだと指摘される。ここは「言われてみると自分も」感が満点の父=私のブログ。登場する「キューちゃん」は妻(マーの母)。

定型発達という言葉

 定型発達という言葉があるほうがよほど驚きだった。

 だって「個性的発達」という言葉はないように思うからだ。

 「早熟と大器晩成」とか「直感タイプとコツコツタイプ」とか「天才肌と努力家」とか「八方美人」とかそうでないとか、「一芸に秀でるタイプ」とか「職人肌」のように、古来、人の多様性を表現した言葉は数多い。それを「定型」と「障害」のように二分してしまい、そうでなければ配慮もできない現代って、よくよく画一化バイアスがかかっている時代なんだな、と思ったのである。単純すぎる血液型占いのほうがまだしも4種類(?)あるからマシなくらいじゃないかと思えるほどだ。

 もちろん、「昔のほうがよかった」と安易に言うつもりはない。「昔はなんとかなっていたのだ」という言説の多くはウソを含んでいると、実感をもって思う。

 そうではなくて、「定型発達」なら画一教育とマニュアル子育てでオッケー、というわけじゃないだろう。「多様性」とは本来そのことを言っているのではないかと思うのである。

 

 と思ってちょっと見てみたら、やはり専門家は気づいているようだ。次のところにこんな引用が。

blog.goo.ne.jp

 

「定型発達児という用語が用いられることがある。これは、typically developing children という英語表現を和訳した語と考えられる。しかしながら、typicallyという語には「定型」というよりもむしろ、「典型」という意味合いが含まれている。また、障害をもたない子どもも発達のバリエーションは多様であり、「定型」発達児という表現は必ずしも適切ではないと考えられる」(杉村僚子(2009)「発達障害をもつ子どもの向社会的行動に関する研究動向―広汎性発達障害を中心に―」『東北大学大学院教育学研究科研究年報』57(2))。

 

 「定型」は、やはり「発達のバリエーション」「多様」を考えると「必ずしも適切ではない」。

 

 また、最初に「定型」があったわけでもなく、逆のようである。ウィキペディア(だからこれも二次資料)だけど、「定型発達」の項目に、こうあった(2017/05/23参照)。

 

 「自閉コミュニティにおいて造り出された用語で、自閉症スペクトラムに当てはまらない人々を指し示す。いわゆる健常者の発達のこと。・・・[略]・・・後にこの概念は、定型発達における個々人の差異と同じ差異として非定型発達を認識すべきだとする神経多様性運動(en:neurodiversity movement) と科学コミュニティにより受け入れられた」。

 

 「定型」を与件として「非定型」を定義したのではなく、いわば逆規定。自閉症スペクトラムの側からつくったラベル。その相対性を認識する「多様性」運動のなかで使われ始めた言葉、というわけか。

 

 とするなら、言葉の由来よりも、それを「定型/障害」の二分法に落とし込んでいく日常的使用法、それがそういう意味で通用してしまう世間の文化について注意する必要がある、ということか。